ココロの温かくなるお葬式でした

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日曜に大好きな祖父が102歳で、父母の見守る中、静かに旅立ちました。

私は、自他ともに認めるおじいちゃん子で

幼馴染も私を心配して、連絡をくれるほど。

じいちゃんは、本当に優しくて、大切にされた記憶しかありません。

子どもの頃は、凧や竹馬を良く作ってもらいました。

たくさんたくさん、遊んでもらいました。

学校に行くようになっても、雨が降ったら、傘を学校まで持ってくてくれたり

小学校へ迎えに来てくれたり・・・

ただいま~と大きな声で帰るのは、家の隣のじいちゃんち。

じいちゃんは、いつも農作業をしていました。

養豚もしていたので、時々ブタが脱走したりww、子豚が生まれたり

忙しい中でも、たくさん一緒に過ごしました。

じいちゃんと二人で飛行機に乗って旅をしたり。

じいちゃんの事が大好きで、つい5年前までは文通もしていました

字が上手に書けなくなったから・・・とじいちゃんのからの手紙は来なくなってしまいましたが、私の大切な宝物の手紙です。

私が20代の頃、鹿児島市の病院に病気で入院した時

原付バイク(カブ)で、地元から70キロ離れた病院までお見舞いに来てくれました。

無償の愛をたくさん、注いでもらいました。

通夜、告別式では、たくさん地域の方もお別れに来てくださいました。

私も、孫代表で祖父へメッセージを式で、じいちゃんへ今までの感謝を心を込めて伝えました。

じいちゃんがいないことが、信じられない位ですが

家族親族みんなが、じいちゃんの事を思って、いっぱい泣いて寂しがっていて

なぜか、暖かい気持ちもそこにあって、

きっとみんなゆっくり前を向いていく

じいちゃんの「家族を大切に、何事も諦めたらいかんよ」

という言葉を胸に刻んで、ゆっくり進んでいけると思います。

火葬まで済んで、家に帰ってきた骨壺を抱いて、孫、ひ孫でかわるがわる、「じいちゃん、あったかいね~」と骨壺に触りながら、笑顔で過ごして、残った家族で、自宅の仏壇の前で笑顔で写真撮影をしました。

きっと、じいちゃん今笑っている気がする。

子ども達が、騒いでいてもいつも、笑顔でした。

いつも「ケガせんごとね」優しい言葉をくれました。

じいちゃんの車いすに乗りたがった息子を、じいちゃんが車いすに乗せて、家の廊下を押して遊んでくれた去年の夏。

生前に、葬式はココでいいよ。とか

あれこれ、決めていたそうです。

前にクローゼットの整理をしたときに

「スーツと白いシャツをいいのを残しておいて」

と言われていたので、お仕立のスーツ、ばあちゃんのスカーフと一緒に棺に入れました。私がプレゼントしたバック。大事に使ってくれててピカピカだったけど、スーツに合うので一緒に持っていってもらいました。

「じいちゃんがこの時計はさとこにあげてくれと言われていた」

父からじいちゃんが使っていた時計をもらいました。

時計は正確に、ときを刻んでいて。

誰にとっても時間は平等で。

別れは、本当に寂しくてしょうがないのですが

この時計をじいちゃんから受け継いだ意味も、私なりに感じながら

少しづつ前に進みたいと思います。

たくさんの思い出をありがとう。

たくさんの思いやりをありがとう。

私たち家族はじいちゃんが大好きです。